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「日本 をよくする千葉県民の会」
3月(弥生 やよい)
上巳(じょうし)の節句
雛祭り 3月3日

3月になると、春の兆しが山野に感じられ、農作業が始まります。古代の日本人は、身を清浄にし、神を迎えて祭らなければ農耕の成功はないと信じていました。身を清メル方法度して、穢(けが)れを人形に移して祓(はら)い流したものが「ひな流し」です。人形は、ススキやアシなどの草や紙などで作られ、形代として流されました。流しびなは、しだいに立派な人形となって、段飾りの雛人形として飾られるようになりました。
啓蟄(けいちつ)3月5日頃
冬の間、地中で冬ごもりをしていたいろいろな虫が穴を啓(ひら)いて地上に這い出して来るという意味。
社日(しゃにち)3月16日頃
春分に最も近い戊(つちのえ)の日のこと。「社」とは生まれた土地の守護神である産土神を指し、春社という。この日は、産土神に参拝して他の神を祭り、五穀の種を備えて豊作を祈る。
彼岸(ひがん)3月18日頃
彼岸は7日間あり、中日を春分と呼び、昼と夜の長さが保保せ同じになる。お彼岸には祖先を敬い、しのぶために墓参りをする風習がある。
春分の日 3月21日頃

春分の日のもとは、春分日に行われていた「春季皇霊祭」です。これは、天皇自ら、宮中三殿のひとつの皇霊殿において、歴代天皇・皇后・皇親の霊を祀る皇室の大祭であり、現在も行われています。昭和22年(1947)まで、この名称の国の祭日でした。戦後は、「春分の日」として国民の祝日になり、現在に至っています。
もともと日本人の習俗として、春分の日を「お彼岸の中日」とし、その前後3日間を加えて一週間を、お彼岸として、多くの人々がお墓参りを行い、祖先に感謝の念を表します。

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